2008年05月06日

丹波竜

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昨日は4連休期間で唯一フルタイムの休日でしたが、何の因果かこの日に限って雨が降ったり止んだり。(^^;
そんな空模様もあって、ここは一つインドアで楽しめる近場の博物館見学など、という事で子供たちと三田市にある<兵庫県立人と自然の博物館 通称:ひとはく>へ行ってきました。

兵庫県立人と自然の博物館
1階展示室 中央はアメリカマストドンの骨格標本 以下全て撮影はGR DIGITAL

<ひとはく>って、自然科学系博物館では割りと地味な(?)博物館という印象で私自身も15年ほど前の開館の年に行ったっきりでしたが、それを大きく変え全国的にも有名な博物館に押し上げたのは、一昨年、丹波市で発見された恐竜化石<丹波竜>・・・発見場所から最も近い設備の整った自然科学系博物館という事で調査・研究の中心施設になってからの事でしょう。
で、今回の一番の目的もそれ。
先月20日には化石のクリーニング作業や研究風景をガラス越しに生で見られるという「ひとはく恐竜ラボ」もオープンしたとの事でしたから、そんな見学も楽しみに行ってきたのでした。
そのラボ内がコレ ↓

ひとはく恐竜ラボ
左: 杉板張りの見学ホール 写っているのはうちの娘  右: 石膏で裏打ちされた化石群ブロック<PJ7>

確かに!
ガラス越しに見る研究室の中央には、まだ新聞やTVなどでも(たぶん)報じられていない化石群ブロック<PJ7>なるものがデーンと居座っていて、ワォ!・・・頭の中では<ジュラシックパーク>の音楽が。(^^)
<PJ7>には肋骨かな?という骨が満載のようなかんじでしたが、ラボ全体のスナップ写真や記念撮影はOKなものの化石がはっきりわかる形での撮影は不可との事だったので、ここではこの程度で(^^)・・・見たい方はぜひ<ひとはく>へ。
丹波の恐竜化石最新情報: http://hitohaku.jp/top/kaseki_news.html
でも、なんですね、この日も研究室内では研究員の方と思しきお二人が顕微鏡を覗いたりしてましたが、こんなガラス張りでは肝心の研究も落ち着いてできないのでは、と老婆心。
発見地の丹波市内にも昨年末に「ひとはく恐竜ラボ・山南ルーム」なるのものが開設され、一部の化石についてはそちらでクリーニング作業が進められているそうですが、そんな話を聞くと学術研究のための施設というよりもいかにも政治家の考えそうなショールームにしかなっていないのでは、と思えなくもないような・・・まあ、そのお陰でこうやって目の前で生化石を目にする事ができるわけですが。(^^;

尾椎骨
<丹波竜>というのは商標登録もされた通称というかニックネームだそうで、博物館では単に「丹波の恐竜化石」という呼称で展示されていました

上はクリーニング作業も終わって常設展示室内に展示されていた尾椎骨・・・こちらは撮影禁止の告知もなかったので、どアップで。(^^)v

いままで日本で見つかった恐竜化石って、全体骨格からすればほんとに微々たる断片のみの発見で終わってしまい、学術的にはともかくビジュアル的にはどうもワクワク度に欠けたものでしたが、今回の<丹波竜>ではテンコ盛りで重要骨格が見つかっていますし、これからも次々と発掘・発見される可能性が大。
しかも小型恐竜ではなく実に恐竜らしい恐竜・竜脚類(推定:ティタノサウルス類の一種とか)の仲間ですし、発見地からは合わせて獣脚類鳥脚類の歯なども見つかっているそうですから、その昔、郷里淡路島は洲本市で裏山に犬を散歩に連れて行った折には必ずといっていいほど岩を割っていた熱血科学少年としては、ほんと、これからも注目度大の科学的出来事なのであります。

クリーニングおじさん
こちらは展示室内にあるクリーニング作業のモデル展示・・・アゴヒゲがなければなんだかヒゲオヤジ似(^^)
机の上のアンモナイトは、かの我が裏山から近いといえば近い隣町(現:洲本市緑町)から発掘されたものだそう


と、まあ、そんなこんなで他の展示もゆっくり眺めたりしながら博物館を楽しんだ後、ミュージアムショップで買ったお土産は、まんまストレートに<丹波竜せんべい>。(^^)
夜、子供たちに改めて今日の感想を聞くと、「せんべいは美味しかったよ」・・・そう、子供たちはもっぱら兵庫の自然や阪神淡路大震災の記録に興味を抱き、<丹波竜>に興奮していたのは実は私だけという、そんな「こどもの日」だったのでありました。(^^;  
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2008年05月01日

伊居太神社

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写真はイロハモミジの花。そのフォーカスを背景に合わせてみると・・・

楓の花
写真徒然関連写真: 楓花 2008年4月20日撮影・・・今はもう種子が出来はじめています

伊居太神社境内・・・そこは伊居太神社。
というわけで、今日は記事<唐船が淵>でお約束した伊居太神社の紹介です。
今までに何度か書いていますが「伊居太」は「いけだ」と読みますが、古くは「いこた」とも読んだそうです。

左は社務所前から見た境内全景。
この右手と背後が五月山公園になります。

<唐船が淵>で書いたように呉の国から来た穴織媛(あやはとりのひめ: 綾織媛とも書く)を祀る神社で、池田では駅前の呉織媛(くれはとりのひめ)を祀る呉服神社を「下の宮」と呼ぶのに対して「上の宮」とも呼ばれています。
仁徳天皇により「秦の上社」として建立されたと伝えられていて、927年に編纂された延喜式の神名帳にも載っている古い歴史を持つ神社、だそうです。
この辺りは「クレハトリ・アヤハトリ伝承」から渡来の豪族・秦氏、秦氏の末裔ともいわれる楠木氏を経て当地の豪族・池田氏へと繋がると伝えられる歴史の系譜(全て本当かどうかは不明)が隠されているかもで、そんな歴史が好きな人には魅力の神社かもしれません。

舞殿

境内の中央には舞殿。
その奥に、春日大社のように拝殿は持たず、菱格子が美しい透塀(すきべい)の中に本殿を置く社殿配置となっていますが、この本殿が建築的にとても珍しいもの。

本殿

上右は菱格子の間から一昨日撮らせてもらった本殿ですが、今の時期はこんな風に新緑が邪魔してよくわからないので一昨年の春先に撮った写真でご紹介。

冬の本殿
2006年3月15日撮影

穴織媛に加えて、彼女らを呉に求めた応神天皇、建立の祖・仁徳天皇も祀られているので三社造り(それぞれに神様を祀る本陣を横に三つ連ねた造りで、神社本殿よりも神棚に多いプラン)となっていますが、珍しいのはその屋根。
軒から入る平入りで、向拝(こうはい:庇)を伸ばした中央に唐破風を設け、さらにその奥に千鳥破風を配した「流れ千鳥唐破風寄造り」という造りなんですが、普通、千鳥破風は中央に一つ。
それがこの伊居太神社の場合両脇にも付くなんとも豪奢というか、たぶん建立当時としてはかなりド派手なデザインだったんだろうなぁ、と思えるファサードをしています。加えて見上げを意識したプロポーションも美しい。
こんな造りの社殿は専門書にも類例が載っていませんし、おそらく日本中でこの伊居太神社だけのオリジナルデザインかも、という貴重な建築です。

このオリジナリティ豊かな本殿他は、以前の社殿が1568年の織田信長上洛から摂津入国へと続く戦の中で焼失した後、1604年に再建されたもの・・・豊臣秀頼によって、というか、大坂攻めにあたり豊臣方の戦力を殺ぐため散財させたという例の徳川家康の計略により再建された社寺の一つです。

そんな歴史と建築上の珍しさを持つ神社にもかかわらず、国はもとより、府や市の文化財指定も受けていないよう。
文化財指定がどのような基準や手続きによって決まるのか知らないので「なんでなんかなぁ」と思うのですが・・・屋根の銅板葺きは大正時代以降のものと見受けられるので、その辺りがネックなのかなぁ、とも。
権現造りに見られるように安土桃山時代の社殿は概して豪奢ですから、三連千鳥破風はさもありなん、なのですが、もしかしたら両脇のそれはその近年の葺き替えの折に付け加えられたもので、歴史的価値はそんなにないのかもしれない、と想像してみたり・・・本気で調べてもいないので、よくわかりませんが。
なにせ宮司さんにも滅多に会う事もなく、いつ行ってもほとんど人の気配さえない神社・・・下写真のようにいたる所が傷んできたりもしています。

傷み
左は本殿正面の向唐門の軒: 天井が朽ちてきていますが、4枚目の写真にあるようにこの門の屋根にはずっとシートが被せられたまま修復もされず  右は本殿右手の土塀: こちらも昔からこのまんま

合わせて境内に点在する蔵や付属屋などにもかなり傷みが目立ちます。
「下の宮」呉服神社のように十日戎で賑わうわけでもなく、また日頃御守や御札を売っているわけでもなく、正月の祭礼以外にお祭りもない神社のようですから維持管理はかなり大変そうな様子です。
伊居太神社は現在、神社本庁の神社データベースにも掲載されていませんし、私は地元の人間ではないので諸事情などはよくわかりませんが、このままで大丈夫なのかなぁ、と老婆心を抱いたり・・・。

とういわけで(ここが重要)池田にお越しの折は、駅前から商店街を北に歩いてたったの15分、緑豊かな中に遥かなる歴史を秘めたこの伊居太神社にもぜひお参りを。(^^)v

鳥居
道から50段ほどの階段を登ってあるこの鳥居が目印 「穴織大明神」の額束が掛かっています
撮影は全てGR DIGITAL 特記以外2008年4月29日撮影 適宜レタッチ・トリミング


最後に、いままでに伊居太神社境内や参道で撮った写真を載せた主な記事へのリンクを張っておきますので、お越しの際のご参考になどして下さい。

ブログ勝手口内
07年12月03日<音楽会> 07年10月06日<通勤道 02> 07年05月23日<青葉> 06年09月04日<一本の樹
ブログ写真徒然内
08年04月29日<参道> 06年03月15日<伊居太神社> 05年12月03日<秋の終わりに 2>  
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2008年04月29日

統計終了

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今日は「みどりの日」じゃなく「昭和の日」だったんですね・・・去年からだそうですが、知らなかった。(^^;
祝日の趣旨は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」だそうです。
この日を「昭和の日」に変えた人たちの意図はともかく、耳にして、これはこれでいいんちゃうかな、と。
昭和は確かに、多く方々の命と生活を奪った戦争や経済発展の裏側で生まれた今に繋がる様々な問題が噴出した時代でもあったけれど、そのほぼど真ん中・昭和36年に生まれた私にとってはやっぱり素晴らしい時代でしたもんね。
あぁ、あの頃はどんな夢も叶うと信じてたんやなぁ・・・おやじノスタルジー。(^^;

絨緞 1
春の終わりに敷かれた絨緞・・・22日の<通勤道 07>に載せた川西市・絹延団地に咲いた八重桜のラストショー

そんなノスタルジーといえば、昭和の場面場面を切り取ってきたフィルムカメラ・・・と無理矢理話を繋ぐ。(^^)
4・5日前でしたが、カメラ映像機器工業会(CIPA)が毎月発表している加盟メーカー全体のカメラや一眼レフ用交換レンズの生産出荷台数統計で、4月発表の2008年2月統計分からフィルムカメラの項目が消えた! とのニュースを目にしました。
CIPAの統計ページを見てみると2007年12月分の生産台数が21,933台(出荷台数:46,039台)、2008年1月分は生産台数:わずか!1,580台(出荷台数11,573台)。
そして彼の2月分には確かに「銀塩カメラ合計の区分は、集計上の規定を満たさなかったため、表示が出来ません。(3月分以降も、同様に銀塩カメラ合計の区分は、表示されません。)」の記載があるのみ・・・。
同じ2月のデジタルスチルカメラの生産台数は7,173,899台(出荷台数:6,905,932台)・・・。
この統計に参加している企業にライカは入っていませんが、フィルムカメラで頑張っているコシナは参加している。にもかかわらず1月の生産台数が1,580台・・・。
フィルムカメラはもはや産業としては成り立たず、クラフトの世界へ、とでもいう事なのかもしれませんが・・・。
なんだか哀しいニュースだったのでした。

絨緞 2
今朝の通勤道写真から・・・GWだろうがなんだろうが仕事です(^^; 2点ともGR DIGITAL
同じ場所で2日前に撮った写真を写真徒然に掲載: 絨緞


と、そんな事を書いておきながら、今日もカメラは<GR DIGITAL>。
仕事用しても、ブログ用しても、やっぱり便利ですもんね・・・って、どっちやねん。(^^;  
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2008年04月23日

唐船が淵

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今日も朝の通勤道写真から・・・。
昨日の写真には天保年間の道標なんてのを載っけましたが、今日はその道標から200mくらい南になる猪名川岸の歴史についての薀蓄・・・時代は応神天皇の御世のお話なのでありました。

唐船が淵
左: 石碑 右: 橋の手間くらいが唐船が淵
伝承 唐船が淵  池田史より
「日本書紀」によると、応神天皇37年、阿知使主(あちのおみ)・都加使主(つかのおみ)を呉(くれ)に遣わして縫工女(きぬぬひめ)を求め、呉の王から呉織(くれはとり)・穴織(あなはとり)を与えられ同41年、阿知使主らが摂津国武庫に帰ってきたとされている。
池田では、この縫工女たちが池田の地に来て機織りをはじめたとする「クレハトリ・アヤハトリ伝承」が生まれ、彼女たちを乗せた船が着いたと伝えられたところを「唐船が淵」と呼ぶようになった。
「唐船が淵」は、江戸時代の「摂津群談」や「摂津名所図絵」などにも記載されていることから、そのころには広く人々に知られていたことがうかがえ、史実にもとづくものではないが、今日まで語り継がれている。
ちょうど、この唐船が淵の能勢街道(国道173号線)を挟んだ向かいに位置するのが、縫工女の一人、穴織媛(あやはとりのひめ)を祀る伊居太(いけだ)神社で、池田駅前の呉服(くれは)神社には呉織媛(くれはとりのひめ)が祀られています。町名や地名にも綾羽や呉服・姫室(穴織媛の墓に由来)など伝承にまつわる名が残り、池田の歴史を振り返る上では要の場所なのでした。
呉服神社にはブログ内リンクを張れたけれど、そう言えば、境内にての写真は数多く掲載しているのに肝心の伊居太神社を正面切ってはまだ記事にした事がない、という事にハタと気づく(^^;・・・そのうち紹介します。

柿の新緑とスクーター
奥の植え込みの中に石碑が建っています 被るのは柿の葉・・・柿の新緑ってほんと瑞々しい
八重山吹
石碑近くのフェンスから覗いていたヤエヤマブキ 4点ともGR DIGITAL 適宜レタッチ・トリミング

そんな要の場所ではありますが、今は至ってフツウ(^^;・・・ただ石碑のみがその歴史を語る、なのでした。  
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2008年04月20日

ビリケン来る

0688
雨はもちろんの事、花曇りもなく、久ぶりにスカーッとした青空が広がったここ池田。
そんなお天とさんの下でなんやかんや楽しもうとでもゆうんでっしゃろか、ほんまち通りにある<落語みゅーじあむ>の前はえらいぎょうさんの人だかり。
けど、よう見るとそこここにはお巡りさんも立って、なんやら物々しさも漂うて・・・

落語みゅーじあむ

・・・そや、今日はこの向かいにでけたポケットパークにビリケンさんが来る日やった。
市長さんや偉いさん方も来はっての除幕式でした。

除幕式
左: 除幕式を一目見ようと集まったぎょうさんの町衆  右: 除幕式の後、記念撮影をする偉いさん方 背中は市長さん

ビリケンそやけど、ビリケンさんゆうたら通天閣ちゃいますのんか・・・と私も思います。

なんでもビリケンさんの商標権を持ってはるんは、実は通天閣観光はんやなくて、創業者がここ池田市出身で船場に繊維問屋を開いてはる田村駒さんだそうで、それがご縁でこの度になったんやそうです。
ビリケン像ゆうんは、通天閣以外にも全国各地にあるそうですが、そんなご縁やさかい、このビリケンさんは通天閣はんのに次いで本家(元祖はやっぱりアメリカのビリケンさんやと思うんで、ここは本家としときます)田村駒さんのビリケン像を基に造られた二体目のビリケンさんやそうで、そやさかい通天閣のビリケンさんとは正真正銘の兄弟になるんやとか。
なんやらそんな話を聞くと他のんとは格が違うような気もしますが・・・ようわかりまへん。(^^)
田村駒さんとビリケンさんについてはこちらに詳しゅうに→ http://www.tamurakoma.co.jp/biriken/

ここだけの話ですが、ビリケンさんが置かれたこのポケットパークは前にこのブログで書かしてもろうた、ほんまち通りの道路拡張に最後まで反対してはったお方が立ち退いた跡地。
けど、残った地面は間口二間の奥行き五間くらいで、池田市はんが接収したものの、公共のもん建てるにはどないもこうもしょうがない猫の額のような土地。
で、「なんぞ使えんもんか」と市でもあれやこれやとアイデアを練っとったそうですが、ある職員さんの酒場でのふとした思い付きからこの度のビリケン像建立になったとか。
市長さんは式のときに自分でゆうてはったんですが、そのアイデアが出てくるまで、通天閣にビリケンなるもんがあること自体知らなんだそうですが、そこは自称「ノリのええ市長」、ヨッシャ!いうことで即決やったそうですわ。
なんせ大阪府市長会のドンとして、先日は総出で府の意見交換会に乗り込み、皆でわーわーゆうて橋下の坊(ボン)を泣かしたドンだっさかい、やる事がちゃいます・・・?(^^)

まあ、そんな事はさておき、これで池田にもまた観光名所が増えたちゅうことですなぁ。
司会を勤めはった桂壱之輔さんが式の締めでゆうてた謎かけ
池田の今後とかけまして
満塁本塁打2本と解く
その心は・・・「はってん(八点)」間違いなしでしょう
そう、ねごうて・・・かどうか知りまへんが、町衆も福の神にあやかってはりました。

あやかり
あっ、おっちゃん、ビリケンさんは足の裏なでて願を掛けんねんで。肩なでてもあかんがな・・・

式の後は、テッペンの写真にも看板が写ってますが、<落語みゅーじあむ>で記念の落語会。
この度はほんまち商店街(ビリケン像除幕式典実行委員会)さんの主催で「タダ」で落語が聞けるということで、これは捨ておかれんと、私も聴かせてもらいました。
前座の桂咲之輔さんに続き、(自称: 天満天神繁盛亭で最初に噺をした落語家として有名な)桂壱之輔さんは「禁酒関所」でドッと会場を沸かし・・・

落語会
この写真やと沸いているように見えませんが(^^;・・・ほんま若いのに噺上手でおもろい落語でした

トリは笑福亭鶴二さんの「稽古屋」。
お囃子(下座)に踊りも入る賑やかな上方落語(江戸落語にはない演目: 上手に話せる噺家は少のうおます)で、めでたい場がさらに沸き・・・えらい上等の落語会でした。

ほんまち通り
骨董市も立ったほんまち通り  写真は全てGR DIGITAL 適宜レタッチ・トリミング

「ええ、そんなおもろい事があったんかいな」と思った皆さん。
五月二日と三日には(今度は木戸銭が要りますが)落語みゅーじあむ一周年を記念した落語会もありますし、それに先立つみどりの日には石橋で恒例の<春團治まつり>も開かれます。
落語づく春の池田・・・ビリケンさん詣でとご一緒に、どうぞよろしゅう。

そんなこんなで、今回はネイティブ&古典落語調に綴ってまいりしたが、これも池田とビリケンさんの新たな「旅立ち」という事で(思いっきりこじつけですが)<GR BLOG>トラックバック企画<旅立ち>に参加。  
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2008年04月12日

2000本

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金本選手おめでとうございます!
個人記録にはあまり注視しない私でも、この1週間は実に長かった・・・(^^;
タイガースでは藤田平さん以来、実に25年ぶりの2000本安打達成。1983年といえば、私が働きはじめた年・・・こちらも実に永かった。(^^;

お約束(?)の新井選手1000本安打同試合達成!もおめでとう、です。
これで重荷もとれて、明日も勝っての5カード連続勝ち越しへ・・・開幕ダッシュだ、阪神タイガース!

六甲おろしに 颯爽と
蒼天翔ける 日輪の
青春の覇気 麗しく
輝く我が名ぞ 阪神タイガース
オー オー オウオウ
阪神タイガース
フレー フレフレフレ

というわけで、久々にテキストのみ・・・既に美酒酔うの今宵なのでした。(^^)v  
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2008年03月19日

卒業式

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そぼ降る雨の中、膨らみはじめたサクラの蕾・・・

蕾のサクラ

でも、娘たちが通う小学校の体育館には既に満開のサクラがありました。

満開のサクラ

今日は娘たちの卒業式・・・心に響くとてもとても素晴らしい卒業式でした。
私は自分自身の小学校の卒業式をなぜかまったく憶えていないのですが、この卒業式はたぶんこれからも忘れる事はないでしょう・・・それが親なのかもしれませんが。

卒業式

6年間、72ヶ月、2002年4月1日から数えて今日で2180日・・・本人たちにとっても親にとっても、楽しいことや嬉しいこと、そして交通事故や家出といった数々の大騒動まで、様々な思い出が一気によみがえった素敵な(そしてちょっとウルッともした)3時間の式でした。  
Posted by masai at 19:29 PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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2008年02月29日

宇宙飛行士

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ブログ更新の間が少し空きましたが、この間、とあるプランニングをあーでもないこーでもないと思案&とあるデザインコンテストへのプレゼンテーションボードをあーじゃこーじゃしたりしてました。
プランニングの方は思案を終えてスタッフに引渡し、プレゼンテーションボードは本日発送を終えて、やっと一息・・・で、息抜きにたまたま昨日買ったアポロチョコ(の写真)でこんなのを作ってみました。↓(^^)

アポロチョコ1号

昨日や一昨日のニュースで取り上げられていましたが、神戸大学大学院理学研究科惑星科学研究センターの研究で、冥王星に変わる太陽系第9惑星が海王星の外側に楕円軌道を描きながら存在している可能性が高いとの計算結果が得られたとの話。
神戸大学プレスリリース: http://www.org.kobe-u.ac.jp/cps/press080228_j.html
実際に発見されたとしても日常生活には限りなく関係の無い話かもしれませんが、それでも(それだからこそ?)なんだか「オッオーッ」という気がする熱血科学少年(オヤジ)なニュースです。

そして時を同じくして、JAXA(宇宙航空研究開発機構)からはこの春10年ぶりに宇宙飛行士を新規募集するとのニュースが・・・。
JAXAプレスリリース: http://iss.jaxa.jp/astro/select2008/
もっと若ければ応募するのに・・・って、それ以前に採用条件をよく見ろ!ですが。(^^;
思い返すと確かEXPO'70・大阪万博の開催中だったはずですが、何かの子供向け本に載っていた「宇宙飛行士になるためには!」なんていう条件項目みたいなものを見て、「こりゃ、僕には向かへんな」と瞬時に思った記憶があります・・・その条件がどんなだったかは忘れてしまいましたが、その「ダメだ、こりゃ」という記憶だけは残っていますから、余程ショックだったのかもしれません。(^^)
まあ、宇宙飛行士は土台無理だとしても、死ぬまでにはやっぱり(大気圏外にチラッと出るだけでも)宇宙空間に出てみたい・・・そんな思いを込めての今日の写真(コラージュ)、「宇宙を行くアポロチョコ」なのでありました?(^^)

アポロチョコ2号
接写したアポロチョコの画像にすばる望遠鏡のウェブサイトからダウンロードした画像を被せて作成
1枚目: 渦巻銀河 NGC2403 2枚目: 星形成領域 S106 IRS4


ちなみにご存じない方のために(スタッフは知らなかった)・・・
明治製菓のこのチョコ「アポロ」は、アポロ11号が月面着陸を果たした1969年に発売されたチョコで、その円錐形は地球帰還時の指令船の形を模したもの。マスコットキャラクター・アポロちゃんがウサギなのも月関連から。
でも私的にはこの形、アポロ指令船と言うよりもやはり万博の年に放映された「謎の円盤UFO」(製作はサンダーバードでもお馴染みのジェリー・アンダーソン)に出てくるUFOの方によっぽど似ていると今でも思っています。
・・・と、話が超マニアックな世界に行ったところで、今日はお開き。(^^)  
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