2009年04月22日

竣工間近

0861
完成見学会まであと3日となった<四世代の家>では最終の仕上工程が急ピッチ。
外部では植栽もほぼ整いました。

レンゲツツジ
子世帯用玄関脇に植えられたレンゲツツジ  以下6点とも全てGR DIGITAL

植木のほとんどは建替え前のお住まいからあった樹々の再植樹。工事中、敷地の隅に仮植えしていたものを一昨日の月曜日に住まい手と共に位置決めしたところに植え込んでいます。

植栽工事
芝生張りが進む南側の主庭

上右のベニシダレは、枝垂れのモミジが欲しいというお祖母さんに亡くなられたお祖父さんが買って来てくれたという思い出の品で、「ぜひ畳の間(兼仏間)から見える場所に」というお祖母さんのご希望通りの位置に植え込まれました。
こういうお話は建替えならでは・・・なんだかとても心温まる思いです。 

一方、1枚目のレンゲツツジの植込みからヒョロリと伸びる下写真のイロハモミジは図面にも見積にも無かった樹木。
工事前に現場を下見に来た造園屋さんが「ここには低木だけでなくスラットした立木が絶対あった方が良い」と言い、「そりゃそうかもしれないけれど、予算が・・・」とかなんとか応えていたら、結局、サービス(費用の半分くらいは越智工務店さんの負担との噂も?)で植えてくれる事になった樹・・・こちらも心温まる話ですね?!(^^)v

イロハモミジ

ちなみに造園屋さんは神戸や芦屋に店を構える二楽園さん・・・感謝の意味を込めて宣伝しておきます。(^^)
二楽園ウェブサイト: http://www.nirakuen.com

2階家族の間 1
2階家族の間

さてさて、内部では床を覆っていた養生ボードも既に取り払われ、住まい手こだわりの智頭杉の床板が現れています。
そうそう、月曜日には指定確認検査機関による完了検査も終了しました。

2階家族の間 2

正井建築舎史上最多、実に80枚近くに及ぶ木製建具の吊り込みと塗装(OSMOウッドワックスフロアクリアーラピッド塗)も終わり、明日からは最後の最後の工程、美装工事へと移ります。
・・・そして、いよいよ完成見学会へ。
これをご覧の皆さま、今からでも参加のお申込みは遅くありません。ぜひ来て、見て、体感して下さい。
皆さまからお申込みをお待ちしております。!(^^)/~  
Posted by masai at 21:36 PermalinkComments(2)TrackBack(0)
Copyright © 2005-2007 建築設計事務所 正井建築舎

2009年04月12日

加茂遺跡

0855
加茂界隈 1
川西市南花屋敷2丁目にて  以下全てGR DIGITAL

川西市に住まいして13年目ですが、JR福知山線から南の川西市南部にはあまり足を向ける縁がなかった私。
でも<四世代の家>の現場がはじまってからは通過する事も多くなり、以前から一度は散策してみたいと思っていたJR川西池田駅の南に広がる加茂界隈に、土曜日の昼下がり、現場からの帰りを利用して寄ってみることにしました。今日はそんな写真から・・・。

加茂界隈 2
加茂界隈と言っていますが、住所としては加茂1丁目と南花屋敷2・3丁目に広がる丘陵地内の散策から、です
左: 南花屋敷2丁目  右: 加茂1丁目


加茂には延喜式内社の鴨神社が鎮座・・・鎮守の森に囲まれたそこそこ長い参道を持つ神社です。

鴨神社
鴨神社入口近辺 長かった桜の花もそろそろ終わり
イロハモミジ
境内で花を咲かせていたイロハモミジ・・・これからは新緑の季節ですね  写真徒然関連写真:

加茂遺跡で、境内を散策しているとこんな看板が。
加茂遺跡・・・そう、これが散策の目的の一つでもありました。

猪名川沿いの平野部から20mから30m高くなる伊丹段丘の北東端に位置する加茂遺跡は、弥生時代中期には畿内最大級ともいわれる東西約800m・南北約400m及ぶ規模を有した大集落の遺跡。
最明寺川が直角に曲がりながら流れる北側と東側の斜面を天然の防御壁として、南側と西側に環濠を巡らせた環濠集落で、鴨神社の本殿は現在、ちょうどその中心部に建立されているところからこんな看板が立てられているのでした。

遺跡模型と宮川石器館
左: 遺跡地区内にある川西市文化財資料館に展示されている集落全体の模型
右: 個人宅ながら戦前から採集試料が展示されている長屋門風の宮川石器館 入館には予約が必要


ちなみにこの遺跡は航空写真で見ると今でもなんとなくかつての集落の形が浮かび上がり、模型よりもその様相が実感できます・・・という事でグーグルマップから↓
と、まあ、そんな古代に思いを馳せながらの集落散策。
竪穴式住居や高床式の建物があるわけではありませんが、曲がりくねった路地や町角の中になんとなく歴史の深みを感じる加茂界隈なのでした。

加茂界隈 3
加茂1丁目のとある町角
桃園
桃の花 この辺りの名産は桃 今の時期、そこここに点在する桃園からは甘い香りが
桃は弥生時代前期くらいに中国から伝わったといわれる果物・・・そう思うとこの香りにもまた、古代を感じたり(^^)
  
Posted by masai at 19:26 PermalinkComments(0)TrackBack(0)
Copyright © 2005-2007 建築設計事務所 正井建築舎

2009年03月01日

3月1日

0831
菜の花
川西市・猪名川河川敷にて  2点ともGR DIGITAL

手作りケーキ吉本新喜劇初興行50周年記念日だった今日は、私の誕生日でもありました・・・ただ記念日が同じというだけで、なんの関連もありませんが。(^^)
私の方は48才。娘たちは手作りケーキで祝ってくれました。
今年はやたらと甘かった・・・それでもワインや焼酎の肴にはなったような。←基本的には何でも良いのか!?(^^;

吉本新喜劇も花紀京が退団して以来(古い話)、とんと観なくなってしまいましたが、吉本らしい笑いは相変わらずのよう。
これからも末永く、かな。  
Posted by masai at 23:45 PermalinkComments(0)TrackBack(0)
Copyright © 2005-2007 建築設計事務所 正井建築舎

2009年02月13日

西国街道 3

0825
・・・<西国街道 2>からの続き。

街道を行く 14池田市から箕面市へ北進した西国街道は、阪急箕面線を越えた辺りの瀬川宿跡で東に向きを変え、阪急・桜井駅前を通り、北へと折れる箕面線を再び越えた後、牧落へと入ってゆきます。
その名の通り<牧落の家>はこの近くに位置しています。

左写真は牧落の手前、百楽荘にあった楠の並木・・・箕面市の保護樹木だそうで、正面には牧落の高札場跡まで200mといった道標も立っていました。

牧落交差点で国道171号線と交差し、その南に出た街道は、萱野へ。
千里川越しに千里丘陵のビル群を眺めながら進みますが、萱野と言えばなんといっても萱野三平・・・忠臣蔵ですね。

街道を行く 15
左: 箕面市萱野 この辺りもかつての街道筋の面影が感じられる家並み
右: 萱野三平邸跡 街道沿いの長屋門が史跡 奥は母屋跡に新しく建てられた資料館<涓泉亭


萱野三平こと萱野重実は、浅野内匠頭長矩への忠と父・重利への孝との板ばさみの中で苦悩し、討ち入り11ヶ月前の元禄15年(1702年)1月14日にこの長屋門の一室で自刀・・・48人目の赤穂義士とも称される人物です。
まあ、詳しく書けば長い話ですから興味のある方は上のリンクなどからどうぞ。

街道を行く 16
庭から見た長屋門 三平は左端の部屋で自刀  辞世の句: 晴れゆくや 日ごろ心の 花曇り ・・・合掌

萱野三平邸を後にした街道は171号線に付きつ離れつしながら、小野原の集落を越え茨木市へ。
大阪モノレール彩都線を越えれば茨木市豊川です。

街道を行く 17
左: 豊川の街道沿いにあった春日神社・・・境内にこういった遊具が置かれている風景って、いかにも里の神社、の感
右: 茨木市宿川原町 郡山宿本陣


豊川の集落を進み勝尾寺川を渡ると郡山宿跡。ここには山崎街道の宿場跡で唯一、本陣の建物が残っています。
はじめてなので陣内も観たかったのですが、個人宅のため予約制かつこの日は祝日で休館日・・・残念。

街道を行く 18
享保6年(1721年)築 庇の本瓦葺に対し大屋根は桟瓦葺・・・不自然なので大屋根は後年葺き替えられたものと推測
街道を行く 19
茨木市下井町 クロガネモチ(と思う)の巨木が素晴らしい 街道の巾もちょうど良い

この後、街道は名神高速道路をくぐり藍野大学前を過ぎて高槻市へ、ですが、時間も遅くなってきたので私自身はバスと電車で芥川宿跡までワープ。(^^;
ちなみに芥川宿に入る手前、継体天皇陵墓との説が近年有力となってきた今城塚古墳辺りを南に取ると、灘五郷台頭以前は池田や伊丹と並ぶ酒処として栄えた富田町があります。
そう、<富田の家 I>や<富田の家 II>はその近辺にあります。

さて、下井町まではそこそこ良い天気だった空も、ワープしている間に西から流れてきた雲で曇天に。芥川宿跡に着く頃には雨となりました。

街道を行く 20
高槻市芥川 雨の風情もまた良し、です
街道を行く 21
左: 突き当たりに見えるのは芥川一里塚
右: 高槻市天神町 街道沿いに建つ上宮天満宮の大鳥居 左右に走るのが西国街道


芥川を過ぎると街道は上宮天満宮前へ。
この天神さんの境内を北へ抜けると、ほどなく<奥天神の家 I>や<奥天神の家 II>がある奥天神町となります。

という事で、これより先、京までの間には今のところ手掛けた住宅がないので、今回の<街道を行く 西国街道編>、別名<街道にかこつけて今までの住宅プロジェクトにリンクを張るシリーズ>(^^)はこの大鳥居前にて完。
阪急電車に乗って帰る頃には、雲も晴れ、再び太陽が顔を覗かせていました。

夕陽
阪急京都線の車内から 大阪市東淀川区相川にて  以上全てGR DIGITAL 箕面・茨木・高槻編: 2月11日撮影

芦屋の業平橋から高槻・上宮天満宮の大鳥居まで約41km。車なら1時間強で走れる距離ですが、今回とことこ歩いてみて、歩きだからこその発見や出会いもありました・・・まあ、6日・8日は仕事の合間、11日も昼に思いたって、といったいいかげんさで、道程も途中を思いっきり端折ってのウォーキングではありましたが。(^^;
なので、いつか時間が取れれば、京都から神戸くらいまで、今度は端折らずに通しで歩いてみたい、とも思っています。
皆さんもいかがでしょうか。山歩きと違い、疲れたら電車やバスへと気軽に挫折もできるので、歩きなれない方にもお薦め・・・メタボ対策にもピッタリです。(^^)v  
Posted by masai at 10:16 PermalinkComments(2)TrackBack(0)
Copyright © 2005-2007 建築設計事務所 正井建築舎

2009年02月11日

西国街道 2

0823
・・・<西国街道 1>からの続き。
尼崎市から伊丹市に入った西国街道は再び国道171号線と別れ、かつての昆陽宿跡を通って伊丹警察署前へと出てきますが、<四世代の家>はこの近くに位置しています。

街道を行く 8左写真は警察署の東、千僧の天神社前にある西国街道の案内図・・・京都・羅生門から西宮神社までの山崎街道の部分が示されています。
ちなみに西国街道を歩いてみようという方には、大阪府の道路整備課が公開しているPDF版地図が最適。
下記リンクからどうぞ。
街道ウォーキングマップ 西国街道

この天神社から大鹿にかけては昔ながらの民家建てが点在し、かつて街道筋の面影を残しているように感じられます。

街道を行く 9
シンプルな長屋門と蔵 同じく天神社近くにて・・・おばあさんの歩く先の右が神社
街道を行く 10
左: 伊丹市千僧界隈
右: 同市大鹿 左の建物は大鹿交流センター・・・新しい建物ですが街道の景観に合わせた外観


旧大鹿村を過ぎると街道は伊丹坂へ。
戦国時代、堅牢を誇った有岡城とも一体となっている伊丹の段丘を、城の堀代わりにもなっていた駄六川の岸辺へと一気に下る坂ですが、京から西国へと向かう人々にとっては、さぞ、しんどい坂だった事でしょう・・・それは今も同じ。

街道を行く 11
伊丹坂 夕陽の中、自転車を押して登る幾人かの人たちに出会う

伊丹坂を下った後は、辻村を通って猪名川の渡しへ・・・もちろん武庫川と同様、今は渡しなどないので、ここは軍行橋を渡ります。
猪名川を渡れば、今は大阪空港の北端に位置する事となった伊丹市下河原の集落。そこから街道はマイタウン・池田市へと入って行きます。

街道を行く 12
池田市住吉界隈 この辺りもかつての街道筋の面影が少しばかり残っています
ちなみに地名から察せられるようにこの地には住吉神社があります・・・古代は海だったとか 詳しくは: 亀之森住吉神社


亀之森を過ぎると池田市石橋。
ここで西国街道は、このブログではもうお馴染みの能勢街道と交差します。
さらに今では、ちょうどその交点上を阪急宝塚線が通り、二つの街道と線路が交わる踏切となっているのでした。

街道を行く 13
阪急宝塚線・西国街道踏切 正面に伸びるのが西国街道
以上全てGR DIGITAL  伊丹編: 2月6日撮影 池田編: 2月8日撮影


写真には写っていませんが、奥右から手前左へと踏切を渡って進む道が能勢街道で、それを進めば我が事務所、そして<上池田の家>へと向かいます。

本題の西国街道はこの後、阪大下の交差点を通って箕面市へ、ですが、今回はこれにて。
次回に続く・・・  
Posted by masai at 19:54 PermalinkComments(0)TrackBack(0)
Copyright © 2005-2007 建築設計事務所 正井建築舎

2009年02月10日

西国街道 1

0822
私は住宅にしろ他の用途の建築にしろ設計にあたる際には、よくその土地や周辺の地理歴史を調べます。
そうする事によって「ここは昔、海だったから地盤が悪いかも」とか、「あるいは昔から人が住んでいた街道筋だから地盤はそこそこ良いのでは」とか、水害・風害の頻度などその土地についてのおおよその履歴が見えてくる事が多いから、というのが理由です。また、時にはそれがアイデアの拠り所ともなったりします。
で、先日来お伝えしている<芦屋の小さな家>についても同じように調べてみると、近くに西国街道が通っている事がわかりました。
考えてみれば、この街道沿いには今までに手掛けた住宅も多いという事で、じゃあ、ちょっと辿ってみようというのが、今回の企画(というほどでもないけれど)<街道を行く 西国街道編>です。
では、はじまり、はじまり・・・
西国街道は下関の赤間関から京・羅生門へと上る街道で、地方によっては山陽道とも称され、かつては九州・中国地方と京を結ぶ主要幹線でした。
特に西宮から大坂を通らずに京へと上る街道は山崎街道(現在の国道171号線に付きつ離れつといったルート)とも呼ばれ、西国大名の参勤交代にも利用されるなど栄えた街道だったそうです。
ここでは、そんな大坂への街道と山崎街道が分かれる少し手前、<芦屋の小さな家>の周辺から歩を進めて行きます。

街道を行く 1
左: 芦屋市茶屋之町 国道2号線と西国街道の分岐点
右: 同市宮塚町にある西国橋と地蔵尊 ここのお地蔵さんは芦屋で最も古いといわれ延亨2年(1745年)の作


神戸からほぼ国道2号線に位置を同じくしながら芦屋市内に入ってきた街道は、芦屋川に架かる業平橋を過ぎたあたりで、わずかに南に折れ、2号線と別れてゆきます。
そして宮川に架かる西国橋を渡り、打出小槌町を斜めに通って阪神本線・打出駅前へ。

街道を行く 2
街道を少し北に入った所にある打出天神社  この日はお宮参りが行われていて、参道では記念写真の準備中

街道を行く 3左写真は打出駅前を阪神に沿って走るケヤキ並木の通り・・・西宮方面を見ています。
この辺りでは一部街道筋が消えてしまっていますが、昔は左端の白い住宅辺りから北に入って西国橋へ抜けていたようです。
ちなみにその横の赤レンガの建物は<四世代の家>でお世話になっている越智工務店さんの社屋・・・真ん前が西国街道、なんだかスゴイ(?)ような。(^^)
その社屋横を左に入ってすぐに、上写真の打出天神社があります。

中世の西国街道はこの打出駅前辺りから大坂への街道と別れ、廣田神社近くを通って門戸厄神方面へと西宮市を横切る形で伸びていたそうですが、江戸期以降は今の国道43号線に沿って西宮神社(西宮えびす)前を通り、そこから北上して廣田神社近くに至るルートに変更されたそう。
それだけ戎詣でが盛んになり、せっかく西国街道を通るならえべっさんにもお参り、という人が増えたという事なのでしょうね、たぶん。

いずれにしても街道は<急傾斜地の家>近くを通って、阪急今津線を門戸厄神駅北側で横切り、西宮市上大市に至って山陽新幹線に出会います。

街道を行く 4
左: 山陽新幹線の高架に沿う西国街道
右: ランニング中の報徳学園野球部・・・今年も選抜出場が決まりましたね


しばし山陽新幹線に沿った後、街道は北に折れ、報徳学園北側で武庫川に出て、渡しで川を渡りますが、当然ながら今は渡しなどありません。
そこで街道を辿る場合には、報徳学園をグルッと回る形で河川敷を南下し、国道171号線の甲武橋を渡らなければならないわけですが、この時は夕暮れも近かったしという事で、ちょっと学園内を通らせてもらってショートカット。(^^;
春の高校野球ももう間近・・・野球部君たち、みんな励んでいるようでした。

街道を行く 5
武庫川を渡る山陽新幹線・・・現代の西国街道の一つと言えますね 走る車両は500系

という事で、甲武橋を渡って尼崎市へと入り、河川敷を北上し、かつて武庫川の渡しがあった辺りへ。
この堰(7号床止というらしい)の川上側辺りで渡しが行われていたようです。

街道を行く 6
武庫川は二級河川ですが県内5番目の流域面積を持つ川 この辺りではそれなりの川幅です
写真徒然関連写真: 武庫川


武庫川の渡しは「髭の渡し」と呼ばれていたそうですが、由来はこの尼崎市側の川岸に髭の安兵衛さんが営む茶屋があったところから、だそう。
さぞ、立派な髭だったのでしょうね(^^)・・・尼崎市バスのバス停でも「髭茶屋」という名が残っていました。

街道を行く 7
髭茶屋バス停近くにて ここに至る頃には十四夜の月もくっきりと
以上全てGR DIGITAL  芦屋編:2月6日撮影 西宮・尼崎編:2月8日撮影


髭茶屋のバス停を過ぎて街道は171号線に合流。そして伊丹市へ、ですが、そこそこ長文となりました。
続きは次回へ・・・お楽しみに。(^^)v  
Posted by masai at 15:14 PermalinkComments(2)TrackBack(0)
Copyright © 2005-2007 建築設計事務所 正井建築舎

2009年01月21日

きんたくん

0812
オバマ大統領の就任式・・・意図的に見る気なんてありませんでしたが、遅めの風呂を上がるとちょうどその中継時間。で、なにげにテレビを付けてしまい、あとはズルズルと。(^^;
英語のヒヤリングなんてからっきしの私ですが、それでも伝わってくるものが感じられる演説の妙には、さすがだなぁ、と思ったのでした。
でも、肝心なのは言葉より何を成すか・・・式典に集まった圧巻の群集や世界中で中継映像を見た多くの人たちと、たぶん、同じように“Change”にはやはり期待、といったところです。

さて、今日の写真はそんな話とはまったく関係なく、先週の土曜日、我が家向かいの神社境内で開いた町内子供会による恒例焼き芋大会に姿を見せてくれた<きんたくん>で。(^^)

きんたくん
焼き芋の様子は今年は撮れなかったので前回分でどうぞ・・・http://blog.kenchikusha.com/archives/50408301.html

きんたくん・・・昨年、公募で決まった川西市のシンボルキャラです。
川西市は清和源氏発祥の地とされ、伝・源頼光四天王の一人、坂田金時のお墓が市内にある事に由来するんだとか。
こんな事には疎かった川西市ですが、各地のゆるキャラの影響とはいえ、これもチェンジの一つでしょうか。(^^)
市役所のサイトには指が二本しかないにもかかわらず上手にキーボードを操って綴られたきんたくんの日記もあります。
きんたくんの元気いっぱい日記
・・・ちなみに貸出(無料)に興味のある方はそこからのリンクでどうぞ。  
Posted by masai at 17:18 PermalinkComments(0)TrackBack(0)
Copyright © 2005-2007 建築設計事務所 正井建築舎

2008年11月23日

丹波・篠山 2

0782
・・・前回からの続き
篠山城の北口近くでバスを降り、ここからは徒歩での見学です。
案内人は篠山市内で設計事務所を営む才本謙二さん。<篠山まちなみ保存会>の一員として篠山市篠山伝統的建造物群保存地区(通称:伝建地区)内での建築はもちろんの事、各所で古民家再生プロジェクトを数多く手掛けている「木の道」メンバーの一人です。

見学は伝建地区の一つ、篠山城西側に広がる西新町の御徒士町武家屋敷群からスタート。

御徒士町 1
御徒士町通りに入ったところで、まずは概略の説明

ここはかつて篠山城に勤める下級武士たちが住まいした通り。
まちなみ保存には建物だけでなく塀などの工作物、竹林などの自然も含まれる、などなどの話を道々聞きながら、内部が公開されている市立武家屋敷安間家史料館へ。

御徒士町 2

御徒士町 3武家屋敷とは言っても、12石3人扶持の徒士の住まい。
造りは農家とさほど変わりません。
上の写真で皆さんが立っている場所はかつて畑だったとか。
築年ははっきりしていないようですが、天保元年(1830年)の大火以後ほどなく建てられた住居だそうです。

左はその史料館の築地塀に群生していたコケ(地衣類)。
ハナゴケの一種(コナアカミゴケ?)でしょうか、赤い胞子嚢が綺麗だったのでアップで。

史料館を出た後は、城の南側をお堀に沿って東へ。
この辺りはかつて位の高い武士が住んだ屋敷町だったそうですが、現存する建物は少なく竹林や緑地が広がる界隈。

イチョウ

堀端の紅葉がちょうど見ごろといった観で、しばし建築を離れ、そんな篠山の秋を満喫しながらブラブラと。
そして歩く事約15分。第二の見学場所、佐園(さえん)家に到着。
才本さんが設計した住宅で、竣工ももう間近といった頃合い。
ここからは施工を手掛ける大工職の大西義美さん、左官職の南俊行さんにも加わっていただき、修理に当たっては、まずは経年変化で歪んだ木軸を気長に一日1mmずつといったペースで建て起こして行かなければならないといった工事についての苦労話をはじめ、保存修理についての要点などを少し詳しく解説してもらいました。

佐園家 1
右手がその佐園家 外壁は焼杉板張に一部灰中塗仕上  写真徒然関連写真: 焼杉板
佐園家 2
左:保存修理工事には必ずこの共通仕様の看板が掛かるそう  右:室内で南さんから左官材について聞く参加者たち

そんなに広くない商家ですから、内部は参加者を二班に分けて見学する事に・・・御徒士町の時点で既に予定より遅くなってはいたのですが、ここの見学を終えた時点で予定時間を40分ほど超過。
タイムキーパー役としてはなかなか辛い状況に・・・。(^^;
まあ、でも、こりゃなるようにしかならん、と開き直り(^^)、近くにある第三の見学場所<cafe&gallery恵山>へ。
この恵山さんでは主にその内外に施された様々な左官仕上げについてのお話をするのですが、その前に、まずは一息、コーヒータイム、なのでした。

恵山 1
cafe&gallery恵山 座敷や土間に自由に場所をとってもらってしばし休憩 こちらも設計は才本さん
以上8点ともGR DIGITAL 適宜レタッチ・トリミング


次回に続く・・・  
Posted by masai at 16:41 PermalinkComments(0)TrackBack(0)
Copyright © 2005-2007 建築設計事務所 正井建築舎

2008年11月10日

埋蔵文化財試掘

0774
黄葉
五月山公園の黄葉 11月5日撮影  以下3点ともGR DIGITAL

土曜日あたりからまた一段と冷え込んできたここ池田川西界隈。今日、事務所でもこの秋はじめてストーブを点けました。

そんな今朝は6日の記事<わたしたちのまち>でチラッとお伝えしていた<上池田の家>の埋蔵文化財試掘の見学へ。
「特に立会いなどは必要ありません」との事だったのですが、なにせ通勤道ルートですし、はてさて何が出るのやら、という好奇心から通勤途中に覗いてきました。

試掘作業朝、家を出るのを遅らせて、敷地についたのは10時前。
ほとんど掘削作業は終わりに近づき、でしたが、まあ、試掘とは言っても、何のことはないユンボでガンガン掘るのですね。(^^)

でも、最後は手作業で箒なども使いながら丁寧に・・・↓

試掘穴

で、結果はご覧のように何も無し、ただ地層のみが見えるばかり・・・今後の工事への影響を思えば良かったような、好奇心からすれば残念でもあるような。(^^;
という事で穴は元に戻され、正式な通知が届くまでには府経由だったりで1ヵ月くらいは掛かるそうですが、「通知を待たず、いつ着手いただいても結構ですので」というお墨付きはもらった試掘だったのでした。  
Posted by masai at 17:39 PermalinkComments(2)TrackBack(0)
Copyright © 2005-2007 建築設計事務所 正井建築舎

2008年11月06日

わたしたちのまち

0771
池田市役所
池田駅前公園 都市の森 森を通して見えているのは池田市役所

上池田の家>の敷地周辺は池田城跡の埋蔵文化財包蔵地に指定されていて、工事に際しては試掘を行い文化財などが埋もれていないか予め調査する必要があります。
試掘などの費用一切は、近年は個人住宅なら行政側が負担してくれますし(昔は個人住宅でも負担は施主側だった・・・はず)、調査も迅速なので工事への影響はほとんどありませんが(当たり前ですが)着工前の申請が必要。
で、先日、スタッフがその申請を池田市教育委員会に提出して帰ってきた時の事。
「所長にぴったりのお土産がありますっ!」といって差し出されたのがコレ。↓

わたしたちのまち 池田

・・・地域学習のための副読本。(^^)
左が小学3・4年生対象の「わたしたちのまち 池田」、右は中学生用の「身近な地域 池田」・・・申請を出した窓口の横に積んであったそうで、「いただいていいんですか」と聞いたところ「どうぞ、どうぞ」という事で貰ってきたそう。
私が小学校の時なんて、こういった教材は藁半紙にガリ版刷り、というのが定番でしたが「わたしたちのまち 池田」なんてフルカラー133P、凄いもんです。
娘たちが通っていた川西市の小学校でもこんな豪勢な副読本はなかった・・・はず。
しかもその内容の充実している事・・・この地に生まれ育っていない私にとっては、以前紹介した書籍<池田学講座>に勝るとも劣らぬ「ほー」「へー」的内容満載で、確かに私にピッタリのお土産だったのでした。(^^)v

池田城
自動販売機越しに見る池田城跡公園・・・前にも書きましたが、今建っている天守閣は史実に基づかない飾り物

さてさて、そんな「わたしたちのまち」に建つ<上池田の家>は11月3日の記事でチラッと書いていたように今日が現説。
なにせ建坪10坪の住宅での見積合せですから、参加を断ってくる工務店もあるだろうと設計当初から何社かに機会をみては声掛けをしていたところ、やはりこのご時世からでしょうか、皆さん参加との事で、見積の手間を割いてもらう皆さんには申し訳なく感じつつも4社による合見積となってしまったのですが(^^;、何社見積を取ろうが予算が合わなければ同じ事。
昨日の通勤道で通った敷地近くの石垣に咲いていたこの石蕗(ツワブキ)のように、満開の笑顔(?)で見積書を開きたい・・・そう願う今日なのでした。

ツワブキ
5点ともGR DIGITAL 適宜レタッチ・トリミング  
Posted by masai at 17:29 PermalinkComments(2)TrackBack(0)
Copyright © 2005-2007 建築設計事務所 正井建築舎