0822
私は住宅にしろ他の用途の建築にしろ設計にあたる際には、よくその土地や周辺の地理歴史を調べます。
そうする事によって「ここは昔、海だったから地盤が悪いかも」とか、「あるいは昔から人が住んでいた街道筋だから地盤はそこそこ良いのでは」とか、水害・風害の頻度などその土地についてのおおよその履歴が見えてくる事が多いから、というのが理由です。また、時にはそれがアイデアの拠り所ともなったりします。
で、先日来お伝えしている<
芦屋の小さな家>についても同じように調べてみると、近くに西国街道が通っている事がわかりました。
考えてみれば、この街道沿いには今までに手掛けた住宅も多いという事で、じゃあ、ちょっと辿ってみようというのが、今回の企画(というほどでもないけれど)<街道を行く 西国街道編>です。
では、はじまり、はじまり・・・
西国街道は下関の赤間関から京・羅生門へと上る街道で、地方によっては山陽道とも称され、かつては九州・中国地方と京を結ぶ主要幹線でした。
特に西宮から大坂を通らずに京へと上る街道は山崎街道(現在の国道171号線に付きつ離れつといったルート)とも呼ばれ、西国大名の参勤交代にも利用されるなど栄えた街道だったそうです。
ここでは、そんな大坂への街道と山崎街道が分かれる少し手前、<芦屋の小さな家>の周辺から歩を進めて行きます。
左: 芦屋市茶屋之町 国道2号線と西国街道の分岐点
右: 同市宮塚町にある西国橋と地蔵尊 ここのお地蔵さんは芦屋で最も古いといわれ延亨2年(1745年)の作
神戸からほぼ国道2号線に位置を同じくしながら芦屋市内に入ってきた街道は、芦屋川に架かる業平橋を過ぎたあたりで、わずかに南に折れ、2号線と別れてゆきます。
そして宮川に架かる西国橋を渡り、打出小槌町を斜めに通って阪神本線・打出駅前へ。
街道を少し北に入った所にある打出天神社 この日はお宮参りが行われていて、参道では記念写真の準備中

左写真は打出駅前を阪神に沿って走るケヤキ並木の通り・・・西宮方面を見ています。
この辺りでは一部街道筋が消えてしまっていますが、昔は左端の白い住宅辺りから北に入って西国橋へ抜けていたようです。
ちなみにその横の赤レンガの建物は<
四世代の家>でお世話になっている
越智工務店さんの社屋・・・真ん前が西国街道、なんだかスゴイ(?)ような。(^^)
その社屋横を左に入ってすぐに、上写真の打出天神社があります。
中世の西国街道はこの打出駅前辺りから大坂への街道と別れ、
廣田神社近くを通って
門戸厄神方面へと西宮市を横切る形で伸びていたそうですが、江戸期以降は今の国道43号線に沿って
西宮神社(西宮えびす)前を通り、そこから北上して廣田神社近くに至るルートに変更されたそう。
それだけ戎詣でが盛んになり、せっかく西国街道を通るならえべっさんにもお参り、という人が増えたという事なのでしょうね、たぶん。
いずれにしても街道は<
急傾斜地の家>近くを通って、阪急今津線を門戸厄神駅北側で横切り、西宮市上大市に至って山陽新幹線に出会います。
左: 山陽新幹線の高架に沿う西国街道
右: ランニング中の報徳学園野球部・・・今年も選抜出場が決まりましたね
しばし山陽新幹線に沿った後、街道は北に折れ、
報徳学園北側で武庫川に出て、渡しで川を渡りますが、当然ながら今は渡しなどありません。
そこで街道を辿る場合には、報徳学園をグルッと回る形で河川敷を南下し、国道171号線の甲武橋を渡らなければならないわけですが、この時は夕暮れも近かったしという事で、ちょっと学園内を通らせてもらってショートカット。(^^;
春の高校野球ももう間近・・・野球部君たち、みんな励んでいるようでした。
武庫川を渡る山陽新幹線・・・現代の西国街道の一つと言えますね 走る車両は500系
という事で、甲武橋を渡って尼崎市へと入り、河川敷を北上し、かつて武庫川の渡しがあった辺りへ。
この堰(7号床止というらしい)の川上側辺りで渡しが行われていたようです。
武庫川は二級河川ですが県内5番目の流域面積を持つ川 この辺りではそれなりの川幅です
写真徒然関連写真: 武庫川
武庫川の渡しは「髭の渡し」と呼ばれていたそうですが、由来はこの尼崎市側の川岸に髭の安兵衛さんが営む茶屋があったところから、だそう。
さぞ、立派な髭だったのでしょうね(^^)・・・尼崎市バスのバス停でも「髭茶屋」という名が残っていました。
髭茶屋バス停近くにて ここに至る頃には十四夜の月もくっきりと
以上全てGR DIGITAL 芦屋編:2月6日撮影 西宮・尼崎編:2月8日撮影
髭茶屋のバス停を過ぎて街道は171号線に合流。そして伊丹市へ、ですが、そこそこ長文となりました。
続きは次回へ・・・お楽しみに。(^^)v