・・・<西国街道 2>からの続き。
池田市から箕面市へ北進した西国街道は、阪急箕面線を越えた辺りの瀬川宿跡で東に向きを変え、阪急・桜井駅前を通り、北へと折れる箕面線を再び越えた後、牧落へと入ってゆきます。その名の通り<牧落の家>はこの近くに位置しています。
左写真は牧落の手前、百楽荘にあった楠の並木・・・箕面市の保護樹木だそうで、正面には牧落の高札場跡まで200mといった道標も立っていました。
牧落交差点で国道171号線と交差し、その南に出た街道は、萱野へ。
千里川越しに千里丘陵のビル群を眺めながら進みますが、萱野と言えばなんといっても萱野三平・・・忠臣蔵ですね。

左: 箕面市萱野 この辺りもかつての街道筋の面影が感じられる家並み
右: 萱野三平邸跡 街道沿いの長屋門が史跡 奥は母屋跡に新しく建てられた資料館<涓泉亭>
萱野三平こと萱野重実は、浅野内匠頭長矩への忠と父・重利への孝との板ばさみの中で苦悩し、討ち入り11ヶ月前の元禄15年(1702年)1月14日にこの長屋門の一室で自刀・・・48人目の赤穂義士とも称される人物です。
まあ、詳しく書けば長い話ですから興味のある方は上のリンクなどからどうぞ。

庭から見た長屋門 三平は左端の部屋で自刀 辞世の句: 晴れゆくや 日ごろ心の 花曇り ・・・合掌
萱野三平邸を後にした街道は171号線に付きつ離れつしながら、小野原の集落を越え茨木市へ。
大阪モノレール彩都線を越えれば茨木市豊川です。

左: 豊川の街道沿いにあった春日神社・・・境内にこういった遊具が置かれている風景って、いかにも里の神社、の感
右: 茨木市宿川原町 郡山宿本陣
豊川の集落を進み勝尾寺川を渡ると郡山宿跡。ここには山崎街道の宿場跡で唯一、本陣の建物が残っています。
はじめてなので陣内も観たかったのですが、個人宅のため予約制かつこの日は祝日で休館日・・・残念。

享保6年(1721年)築 庇の本瓦葺に対し大屋根は桟瓦葺・・・不自然なので大屋根は後年葺き替えられたものと推測

茨木市下井町 クロガネモチ(と思う)の巨木が素晴らしい 街道の巾もちょうど良い
この後、街道は名神高速道路をくぐり藍野大学前を過ぎて高槻市へ、ですが、時間も遅くなってきたので私自身はバスと電車で芥川宿跡までワープ。(^^;
ちなみに芥川宿に入る手前、継体天皇陵墓との説が近年有力となってきた今城塚古墳辺りを南に取ると、灘五郷台頭以前は池田や伊丹と並ぶ酒処として栄えた富田町があります。
そう、<富田の家 I>や<富田の家 II>はその近辺にあります。
さて、下井町まではそこそこ良い天気だった空も、ワープしている間に西から流れてきた雲で曇天に。芥川宿跡に着く頃には雨となりました。

高槻市芥川 雨の風情もまた良し、です

左: 突き当たりに見えるのは芥川一里塚
右: 高槻市天神町 街道沿いに建つ上宮天満宮の大鳥居 左右に走るのが西国街道
芥川を過ぎると街道は上宮天満宮前へ。
この天神さんの境内を北へ抜けると、ほどなく<奥天神の家 I>や<奥天神の家 II>がある奥天神町となります。
という事で、これより先、京までの間には今のところ手掛けた住宅がないので、今回の<街道を行く 西国街道編>、別名<街道にかこつけて今までの住宅プロジェクトにリンクを張るシリーズ>(^^)はこの大鳥居前にて完。
阪急電車に乗って帰る頃には、雲も晴れ、再び太陽が顔を覗かせていました。

阪急京都線の車内から 大阪市東淀川区相川にて 以上全てGR DIGITAL 箕面・茨木・高槻編: 2月11日撮影
芦屋の業平橋から高槻・上宮天満宮の大鳥居まで約41km。車なら1時間強で走れる距離ですが、今回とことこ歩いてみて、歩きだからこその発見や出会いもありました・・・まあ、6日・8日は仕事の合間、11日も昼に思いたって、といったいいかげんさで、道程も途中を思いっきり端折ってのウォーキングではありましたが。(^^;
なので、いつか時間が取れれば、京都から神戸くらいまで、今度は端折らずに通しで歩いてみたい、とも思っています。
皆さんもいかがでしょうか。山歩きと違い、疲れたら電車やバスへと気軽に挫折もできるので、歩きなれない方にもお薦め・・・メタボ対策にもピッタリです。(^^)v

















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