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お盆ですし、今日はお墓の話というかRootsネタを一つ。
私は洲本市の生まれですが、父親が育ったのは同じ淡路島でも神戸寄りの東浦町(現:淡路市)というところ。父親の生まれた戦前はまだ浦村と呼ばれていたようで、その地で小さな造り酒屋を営んでいました。
なので先祖代々お墓はいまでも東浦町仮屋墓地という所にあり、先日の里帰りの際にも洲本市に行く途中、立ち寄ってお参りをしてきました。
とは言っても寄ったのは盆前で、盆には両親が参るという事もあって、花やお供えも持たず、草取りだけして線香を立て拝むという中途半端なお参りでしたが・・・(^^;
正井という名前は全国的には珍しい名前のようですが、淡路島では比較的ポピュラーな名前で、お墓の近くには、先祖と係わるのかどうか定かではありませんが、
正井城跡とされる地もあったりします。
文献を調べたり、大阪で出会った同じ正井姓の人たちの話を聞いたりしていると、どうも正井と名乗る人たちの先祖を遡って行くと、皆さんいつかどこかで淡路島(多くの場合東浦町近辺)に辿り着くようで、私見ですが全国の正井さんは皆さん淡路の地から散っていたのではないか、と考えたりしています。
話は変わって<文楽>の話。
最近はちょっとご無沙汰していますが、20年ほど前、友人に奨められた事をきっかけに人形浄瑠璃の面白さを知り、一時期は演目が変わるたびに
国立文楽劇場に通うほど熱を上げていました。
さて、この人形浄瑠璃。
劇場の名前が示すように大阪だけは人形浄瑠璃と言わず<文楽>と呼ぶ方が一般的ですが、これは明治末期、現文楽劇場近くの高津橋橋詰めにあった浄瑠璃小屋<文楽座>の名に由来しています。
「人形浄瑠璃、行こか」では舌も回らないし語呂も悪い。「文楽行こか」の方がスマートなわけで、たぶんそんな理由からそうなったのでしょう。
この文楽座を興し率いていたのが、今回の記事のタイトルとなっている<植村文楽軒>なる人物で、本名を<正井大蔵>と言います。
ちょっと話が戻ってきました。(^^)
明治期の文楽座を盛んなものとした植村文楽軒は三代目に当たりますが、初代植村文楽軒を名乗った正井与兵衛(嘉兵衛とも言われる)は前述の東浦近辺の生まれとされています。ただ諸説あって、与兵衛の生まれ自体は徳島で、淡路で浄瑠璃を学んだ後大阪に出てきたという説もあり、真偽は闇の中ですが、東浦町勝福寺には一応、記念碑が建てられています。
いずれにしても、いまの太夫名にその名を残す竹本座・豊竹座が競い合った人形浄瑠璃史上最大のブーム(江戸中期:皆さんご存知の近松門左衛門もこの頃の人)が去って以降、歌舞伎に圧されて衰退していた人形浄瑠璃を再び盛んにする発端となったのが、淡路島から散っていった正井姓の人物の一人だったわけで、この話を知った時、同じ氏を持つものとしてえらく嬉しい気分なった事がいまでも思い起こされます。
ただ残念ながらというかなんというか、与兵衛が東浦の生まれであったとしても、文楽翁とも称された三代目植村文楽軒は養子なので、私とは血のつながりがあるはずもなく、まあ早く言えば赤の他人。(^^;
まっ、でも嬉しいもんです。
で、8月はじめ、たまたま仕事の途中に上町台地を通る事があり、墓の場所は以前から知っていましたから、三代目植村文楽軒・文楽翁の墓碑を訪ねてきました。

墓碑がある寺は国立文楽劇場から松屋町筋を少し下った天王寺区下寺町の西念寺。
上写真左のように門脇に碑が建っています。
ただ、こう書いてはなんですが、本堂と思しき建物は寺院というよりも少し大きな家という感じの寂れたお寺で、イメージしていた寺とは違って、少し残念な思いでした。

また、境内には上写真右に見られるように<文楽翁之碑>という立派なオベリスクは建てられていたものの、探して見つけた墓は、参る子孫も既にいないのかどうなのか、崩れかけたものでした。
墓石のどこにも植村文楽軒云々とは書かれていませんが、基壇石正面に<正井氏>と書かれているので、文楽翁の墓とわかります・・・合掌。
墓地を歩くと竹本茟太夫・竹本咲太夫・竹本長尾太夫など浄瑠璃語りの名が書かれた墓石や鶴沢儀七など三味線弾きと思しき名の墓石も建ち並んでいましたが、いずれの墓石にも割れが目立ち中には原型を留めない墓石も見受けられました。
ご住職に話を伺えればと思い声を掛けましたが、お留守の様子。
で、写真だけ撮ってきたという次第です。
1983年、文楽界悲願の国立劇場が出来上がり、地方公演や子供向け浄瑠璃などにも力を入れている文楽界ですが、大阪に住んではいても文楽を一度も見た事がない、あるいは学校行事でしか見た事がないという人がほとんど、というのがいまの文楽の現状のよう。
墓の荒れ方を見るにつけその現状がオーバーラップするようで、心に痛さを感じた植村文楽軒の墓碑との出会いでもありました。
そんな事を言っている私も、先に書いたように文楽はご無沙汰。
こんな事を書いていると、また文楽の世界を味わいたくなってきたので、ここは一つ観劇に。
また、見に行った折には記事にしてみます。