この記事は故人やその葬儀について綴った記事です。
「そんな話は縁起でもない」と思われる方は読まないで下さい・・・でも、こういった事もまた「暮らし」の不可欠な一部だと私は思っていますし、皆さんの身の回りで同じような事が起こってしまった時に何らかの参考になるのでは、とも思い記事にしました。
「お父さんが息してない」と義母から連絡を受けたのが、月曜日の朝7時過ぎ。
取りあえず救急車を呼んで市立川西病院へ搬送してはもらったものの、既に時遅く・・・。
そこからバタバタの3日間がはじまりました。
「自宅の布団の上で最後を迎えられれば本望」とは言いますが、医者が看取らずに亡くなったような場合、警察では一応変死扱いになるそうで、犯罪や事故の可能性がないか検証しなければならないそう。
病院に警察が来て発見状況の事情聴取。義父の遺体は対面も出来ないまま検死のために川西警察署へ搬送。同時に義母や付き添いの私たちは警察車両に乗せられて、義父宅に取って返しての「現場」検証の立会い・・・やっとこさ警察の「死体置場」(遺体ではない)で義父に対面できたのは4時間後の13時過ぎの事でした。
その間にもお寺さんなどへの連絡や、葬儀をどんな風にどこに頼むのかなど義弟(喪主)と共にバタバタ。
私はこの日の夕方、どうしても事務所に顔を出さねばならず、その仕事を片付けて先日の<お知らせ>をアップ・・・その後は検死(民間委託)してもらった川西能勢口駅前の医院で死亡診断書(なんと紙一枚で作成費5万円!)を貰い受け、警察に届け出を出してやっと、公的に自然死による他界が確定したのでありました。
死亡推定時刻17日午前6時頃、享年(数え)82才・・・寝ている間に亡くなり、なんの苦痛もなかったのかその顔は笑顔でしたし、確かに突然の事ではありましたが、4年前に一度心停止状態になっていて、その後はほとんど後遺症もなく回復したものの、やはり「いつかは」と覚悟していた家族にとっても「まあ、よかったんじゃないか」と思える最後でした。

葬儀祭壇 2点ともGR DIGITAL 適宜レタッチ・トリミング
二日目も納棺や出棺の儀式をはじめ、葬儀屋や仕出屋との打ち合わせでバタバタ。
で、やっぱり、妻をはじめ、みんなそれなりにハイになっているんでしょうね・・・前日に打ち合わせ内容を忘れたり、ついさっき聞いた話も耳に入っていなかったり。
そんな中、義父という事で、そこそこ客観的に見ていられる私がフォロー役に回ったり・・・自分自身が喪主になったような時にも、こんな立場の人間が必要だなぁ、と実感もしました。
そして通夜。
川西市北地区コミュニティ(自治組織)の長を長年務めたのをはじめ、仕事以上に地元の活動に力を入れていた観もあった義父でしたから、そのコミュニティ地区内の葬祭場を選んだ事もあったのでしょう、予想していたより遥かに多くの方々にご列席いただき、改めて故人の偉大さを実感できた夜でした。

川西市斎場にて 上空の高圧電線が「千の風」のように見えました
そして昨日、本葬・・・11時からの開始にもかかわらず、これまた多くの方々にご列席いただき盛大な葬儀となりました。
葬儀終了後、火葬を待つ間の宴では遠方より集まった親戚一同、故人を偲びながらも、久々の再開にワイワイガヤガヤ・・・焼酎が好きだった義父にとって、それを偲ぶにぴったりの葬儀になったのでは、と思っています。
御骨拾いの後は葬儀場にて合わせて初七日の法要も済ませ、親戚一同を見送って万事終了。
そして義母宅に御骨を祀った後には、義父もよく通っていた飲み屋で義母・義弟家族と共に慰労会(?)・・・ふっ、と義母の隣に目を向けた折「ああ、もういないんだなぁ」と感じたりしながらも、義弟とガバガバ酒を飲みながら、この3日間を振り返り「結び」とした宴だったのでした。
