今日も朝の通勤道写真から・・・。
昨日の写真には天保年間の道標なんてのを載っけましたが、今日はその道標から200mくらい南になる猪名川岸の歴史についての薀蓄・・・時代は応神天皇の御世のお話なのでありました。

左: 石碑 右: 橋の手間くらいが唐船が淵
伝承 唐船が淵 池田史よりちょうど、この唐船が淵の能勢街道(国道173号線)を挟んだ向かいに位置するのが、縫工女の一人、穴織媛(あやはとりのひめ)を祀る伊居太(いけだ)神社で、池田駅前の呉服(くれは)神社には呉織媛(くれはとりのひめ)が祀られています。町名や地名にも綾羽や呉服・姫室(穴織媛の墓に由来)など伝承にまつわる名が残り、池田の歴史を振り返る上では要の場所なのでした。
「日本書紀」によると、応神天皇37年、阿知使主(あちのおみ)・都加使主(つかのおみ)を呉(くれ)に遣わして縫工女(きぬぬひめ)を求め、呉の王から呉織(くれはとり)・穴織(あなはとり)を与えられ同41年、阿知使主らが摂津国武庫に帰ってきたとされている。
池田では、この縫工女たちが池田の地に来て機織りをはじめたとする「クレハトリ・アヤハトリ伝承」が生まれ、彼女たちを乗せた船が着いたと伝えられたところを「唐船が淵」と呼ぶようになった。
「唐船が淵」は、江戸時代の「摂津群談」や「摂津名所図絵」などにも記載されていることから、そのころには広く人々に知られていたことがうかがえ、史実にもとづくものではないが、今日まで語り継がれている。
呉服神社にはブログ内リンクを張れたけれど、そう言えば、境内にての写真は数多く掲載しているのに肝心の伊居太神社を正面切ってはまだ記事にした事がない、という事にハタと気づく(^^;・・・そのうち紹介します。

奥の植え込みの中に石碑が建っています 被るのは柿の葉・・・柿の新緑ってほんと瑞々しい

石碑近くのフェンスから覗いていたヤエヤマブキ 4点ともGR DIGITAL 適宜レタッチ・トリミング
そんな要の場所ではありますが、今は至ってフツウ(^^;・・・ただ石碑のみがその歴史を語る、なのでした。
