2006年02月01日

茶屋町の過去

0247
菜の花や 月は東に 日は西に

与謝蕪村のこの有名な句。
大阪・梅田は茶屋町の情景を詠った句だったのですね。
さっき、昼休みに読んでいた大阪府建築士会の会誌「建築人」ではじめて知りました。
ああ、勉強不足(^^;
中学1年生の時だったか2年生だったのか忘れましたが、国語の授業で先生が、この句がいかに壮大な景観を詠みこんだ句なのかという事を、黄・赤・青・白のチョークを使って黒板に絵で示してくれたのが印象的で、以来ずっと心に残っている句でした。
その時は確か、真ん中に富士山のような山が描かれていたので、それが、まさかあの茶屋町の事を詠んでいたとは思いもよらず・・・。
下の写真は昨年オープンした<NU chayamachi>から見た現在の茶屋町界隈ですが、蕪村が「菜の花や」と詠んだ頃のこの辺りは一面の菜の花畑で、結構人気の浪速の観光スポットだったとか。

茶屋町2005年11月3日撮影
GR DIGITAL


で、ネットで調べてみたら、梅田芸術劇場横には句碑があるんだとか。
いやー、勉強不足、というか街をよく見ていなかったというか。今度言ったら見て来よっと。

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この記事へのコメント
学生時代、梅田の語源は「埋田」で湿地帯を埋めて田んぼにしたからとききました。それを聞く前は、梅畑でもあったのかと思ってましたが、いずれにしても想像もつかない風景です。
菜の花は私も初耳です。「ウサギ追いしかの山」みたいな田舎の風景と勝手に思ってました。あぁそれにしても、菜の花の句を見ると、春にはどこか暖かいところへ旅行へ行きたい!とムシが起きてしまいますね。休みが欲しい〜!
Posted by かま猫 at 2006年02月03日 11:44
梅田=埋田、みたいですね。
地名替えする時に、一応その地に関連がないとという事で、茶屋町にある綱敷天神社御旅所境内に梅塚と呼ばれる紅梅があったので、梅田にしたんだとか。
この謂れは以前から知ってましたが、明治の頃に茶屋町が菜の花畑であったというのは露知らず。ほんと驚きでした。
・・・明日は立春、ほんと、気がつけば春はもう間近ですね。
Posted by masai at 2006年02月03日 12:12