2008年05月06日
丹波竜
0698
昨日は4連休期間で唯一フルタイムの休日でしたが、何の因果かこの日に限って雨が降ったり止んだり。(^^;
そんな空模様もあって、ここは一つインドアで楽しめる近場の博物館見学など、という事で子供たちと三田市にある<兵庫県立人と自然の博物館 通称:ひとはく>へ行ってきました。

1階展示室 中央はアメリカマストドンの骨格標本 以下全て撮影はGR DIGITAL
<ひとはく>って、自然科学系博物館では割りと地味な(?)博物館という印象で私自身も15年ほど前の開館の年に行ったっきりでしたが、それを大きく変え全国的にも有名な博物館に押し上げたのは、一昨年、丹波市で発見された恐竜化石<丹波竜>・・・発見場所から最も近い設備の整った自然科学系博物館という事で調査・研究の中心施設になってからの事でしょう。
で、今回の一番の目的もそれ。
先月20日には化石のクリーニング作業や研究風景をガラス越しに生で見られるという「ひとはく恐竜ラボ」もオープンしたとの事でしたから、そんな見学も楽しみに行ってきたのでした。
そのラボ内がコレ ↓

左: 杉板張りの見学ホール 写っているのはうちの娘 右: 石膏で裏打ちされた化石群ブロック<PJ7>
確かに!
ガラス越しに見る研究室の中央には、まだ新聞やTVなどでも(たぶん)報じられていない化石群ブロック<PJ7>なるものがデーンと居座っていて、ワォ!・・・頭の中では<ジュラシックパーク>の音楽が。(^^)
<PJ7>には肋骨かな?という骨が満載のようなかんじでしたが、ラボ全体のスナップ写真や記念撮影はOKなものの化石がはっきりわかる形での撮影は不可との事だったので、ここではこの程度で(^^)・・・見たい方はぜひ<ひとはく>へ。
丹波の恐竜化石最新情報: http://hitohaku.jp/top/kaseki_news.html
でも、なんですね、この日も研究室内では研究員の方と思しきお二人が顕微鏡を覗いたりしてましたが、こんなガラス張りでは肝心の研究も落ち着いてできないのでは、と老婆心。
発見地の丹波市内にも昨年末に「ひとはく恐竜ラボ・山南ルーム」なるのものが開設され、一部の化石についてはそちらでクリーニング作業が進められているそうですが、そんな話を聞くと学術研究のための施設というよりもいかにも政治家の考えそうなショールームにしかなっていないのでは、と思えなくもないような・・・まあ、そのお陰でこうやって目の前で生化石を目にする事ができるわけですが。(^^;

<丹波竜>というのは商標登録もされた通称というかニックネームだそうで、博物館では単に「丹波の恐竜化石」という呼称で展示されていました
上はクリーニング作業も終わって常設展示室内に展示されていた尾椎骨・・・こちらは撮影禁止の告知もなかったので、どアップで。(^^)v
いままで日本で見つかった恐竜化石って、全体骨格からすればほんとに微々たる断片のみの発見で終わってしまい、学術的にはともかくビジュアル的にはどうもワクワク度に欠けたものでしたが、今回の<丹波竜>ではテンコ盛りで重要骨格が見つかっていますし、これからも次々と発掘・発見される可能性が大。
しかも小型恐竜ではなく実に恐竜らしい恐竜・竜脚類(推定:ティタノサウルス類の一種とか)の仲間ですし、発見地からは合わせて獣脚類や鳥脚類の歯なども見つかっているそうですから、その昔、郷里淡路島は洲本市で裏山に犬を散歩に連れて行った折には必ずといっていいほど岩を割っていた熱血科学少年としては、ほんと、これからも注目度大の科学的出来事なのであります。

こちらは展示室内にあるクリーニング作業のモデル展示・・・アゴヒゲがなければなんだかヒゲオヤジ似(^^)
机の上のアンモナイトは、かの我が裏山から近いといえば近い隣町(現:洲本市緑町)から発掘されたものだそう
と、まあ、そんなこんなで他の展示もゆっくり眺めたりしながら博物館を楽しんだ後、ミュージアムショップで買ったお土産は、まんまストレートに<丹波竜せんべい>。(^^)
夜、子供たちに改めて今日の感想を聞くと、「せんべいは美味しかったよ」・・・そう、子供たちはもっぱら兵庫の自然や阪神淡路大震災の記録に興味を抱き、<丹波竜>に興奮していたのは実は私だけという、そんな「こどもの日」だったのでありました。(^^;
昨日は4連休期間で唯一フルタイムの休日でしたが、何の因果かこの日に限って雨が降ったり止んだり。(^^;
そんな空模様もあって、ここは一つインドアで楽しめる近場の博物館見学など、という事で子供たちと三田市にある<兵庫県立人と自然の博物館 通称:ひとはく>へ行ってきました。

1階展示室 中央はアメリカマストドンの骨格標本 以下全て撮影はGR DIGITAL
<ひとはく>って、自然科学系博物館では割りと地味な(?)博物館という印象で私自身も15年ほど前の開館の年に行ったっきりでしたが、それを大きく変え全国的にも有名な博物館に押し上げたのは、一昨年、丹波市で発見された恐竜化石<丹波竜>・・・発見場所から最も近い設備の整った自然科学系博物館という事で調査・研究の中心施設になってからの事でしょう。
で、今回の一番の目的もそれ。
先月20日には化石のクリーニング作業や研究風景をガラス越しに生で見られるという「ひとはく恐竜ラボ」もオープンしたとの事でしたから、そんな見学も楽しみに行ってきたのでした。
そのラボ内がコレ ↓

左: 杉板張りの見学ホール 写っているのはうちの娘 右: 石膏で裏打ちされた化石群ブロック<PJ7>
確かに!
ガラス越しに見る研究室の中央には、まだ新聞やTVなどでも(たぶん)報じられていない化石群ブロック<PJ7>なるものがデーンと居座っていて、ワォ!・・・頭の中では<ジュラシックパーク>の音楽が。(^^)
<PJ7>には肋骨かな?という骨が満載のようなかんじでしたが、ラボ全体のスナップ写真や記念撮影はOKなものの化石がはっきりわかる形での撮影は不可との事だったので、ここではこの程度で(^^)・・・見たい方はぜひ<ひとはく>へ。
丹波の恐竜化石最新情報: http://hitohaku.jp/top/kaseki_news.html
でも、なんですね、この日も研究室内では研究員の方と思しきお二人が顕微鏡を覗いたりしてましたが、こんなガラス張りでは肝心の研究も落ち着いてできないのでは、と老婆心。
発見地の丹波市内にも昨年末に「ひとはく恐竜ラボ・山南ルーム」なるのものが開設され、一部の化石についてはそちらでクリーニング作業が進められているそうですが、そんな話を聞くと学術研究のための施設というよりもいかにも政治家の考えそうなショールームにしかなっていないのでは、と思えなくもないような・・・まあ、そのお陰でこうやって目の前で生化石を目にする事ができるわけですが。(^^;

<丹波竜>というのは商標登録もされた通称というかニックネームだそうで、博物館では単に「丹波の恐竜化石」という呼称で展示されていました
上はクリーニング作業も終わって常設展示室内に展示されていた尾椎骨・・・こちらは撮影禁止の告知もなかったので、どアップで。(^^)v
いままで日本で見つかった恐竜化石って、全体骨格からすればほんとに微々たる断片のみの発見で終わってしまい、学術的にはともかくビジュアル的にはどうもワクワク度に欠けたものでしたが、今回の<丹波竜>ではテンコ盛りで重要骨格が見つかっていますし、これからも次々と発掘・発見される可能性が大。
しかも小型恐竜ではなく実に恐竜らしい恐竜・竜脚類(推定:ティタノサウルス類の一種とか)の仲間ですし、発見地からは合わせて獣脚類や鳥脚類の歯なども見つかっているそうですから、その昔、郷里淡路島は洲本市で裏山に犬を散歩に連れて行った折には必ずといっていいほど岩を割っていた熱血科学少年としては、ほんと、これからも注目度大の科学的出来事なのであります。

こちらは展示室内にあるクリーニング作業のモデル展示・・・アゴヒゲがなければなんだかヒゲオヤジ似(^^)
机の上のアンモナイトは、かの我が裏山から近いといえば近い隣町(現:洲本市緑町)から発掘されたものだそう
と、まあ、そんなこんなで他の展示もゆっくり眺めたりしながら博物館を楽しんだ後、ミュージアムショップで買ったお土産は、まんまストレートに<丹波竜せんべい>。(^^)
夜、子供たちに改めて今日の感想を聞くと、「せんべいは美味しかったよ」・・・そう、子供たちはもっぱら兵庫の自然や阪神淡路大震災の記録に興味を抱き、<丹波竜>に興奮していたのは実は私だけという、そんな「こどもの日」だったのでありました。(^^;
Copyright © 2005-2007 建築設計事務所 正井建築舎
2008年05月04日
その後のビリケン
0697
ゴールデンウィークなんのその、今日も仕事でしたが(^^;、そんな今朝の出勤道に1週間ぶりくらいにビリケンさん前を通るルートを選んでみたところ、なにやら変化が・・・

・・・やはりといか何というか賽銭箱が新設されていました。(^^)
ここに至る経緯を見逃した方は記事<ベニハナミズキ>をどうぞ。
でも、さすがに賽銭箱とは書けなかったようで(なにせ池田市立ですから)、その名も「ビリケンボックス」。
でも、こうやって設置されてしまうと単に足の裏を撫でるだけではご利益がないような気がして(^^;・・・結構、お賽銭が集まるかもしれません。
おまけ
我が家のビリケンさん・・・

初カメラにちょっと緊張 我が家にて 3点ともGR DIGITAL 適宜レタッチ・トリミング
最近、ノラ(ニワネコ)からうちの家族に昇格した彼。子供たちは「アン」と呼んでいますが、私だけは「ビリケン」と呼んでします・・・夜帰るとソファの上でよくビリケン座りをしているので、そう命名。
朝など庭先にちょこんと座り道行く人をよく眺めているようですが、こちらにはお賽銭は飛んでこないようで・・・。(^^)
ゴールデンウィークなんのその、今日も仕事でしたが(^^;、そんな今朝の出勤道に1週間ぶりくらいにビリケンさん前を通るルートを選んでみたところ、なにやら変化が・・・

・・・やはりといか何というか賽銭箱が新設されていました。(^^)
ここに至る経緯を見逃した方は記事<ベニハナミズキ>をどうぞ。
でも、さすがに賽銭箱とは書けなかったようで(なにせ池田市立ですから)、その名も「ビリケンボックス」。
でも、こうやって設置されてしまうと単に足の裏を撫でるだけではご利益がないような気がして(^^;・・・結構、お賽銭が集まるかもしれません。
おまけ
我が家のビリケンさん・・・

初カメラにちょっと緊張 我が家にて 3点ともGR DIGITAL 適宜レタッチ・トリミング
最近、ノラ(ニワネコ)からうちの家族に昇格した彼。子供たちは「アン」と呼んでいますが、私だけは「ビリケン」と呼んでします・・・夜帰るとソファの上でよくビリケン座りをしているので、そう命名。
朝など庭先にちょこんと座り道行く人をよく眺めているようですが、こちらにはお賽銭は飛んでこないようで・・・。(^^)
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2008年05月03日
ツツジ
0696

我が家の最寄り駅・能勢電鉄滝山駅脇の踏切にて 2008年5月3日撮影
3月から4月の月移りの花がサクラだとしたら、4月から5月のそれはやっぱりツツジでしょうか。

2008年5月1日撮影 2点ともGR DIGITAL 適宜レタッチ・トリミング 写真徒然関連写真: ポストとツツジ
低木に仕立てられたツツジが多い中、ここツツジは珍しく頭の上に咲く・・・お陰で絵になる写真が撮りやすい、なかなかにフォトジェニックなツツジです。

我が家の最寄り駅・能勢電鉄滝山駅脇の踏切にて 2008年5月3日撮影
3月から4月の月移りの花がサクラだとしたら、4月から5月のそれはやっぱりツツジでしょうか。

2008年5月1日撮影 2点ともGR DIGITAL 適宜レタッチ・トリミング 写真徒然関連写真: ポストとツツジ
低木に仕立てられたツツジが多い中、ここツツジは珍しく頭の上に咲く・・・お陰で絵になる写真が撮りやすい、なかなかにフォトジェニックなツツジです。
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2008年05月01日
伊居太神社
0695
写真はイロハモミジの花。そのフォーカスを背景に合わせてみると・・・

写真徒然関連写真: 楓花 2008年4月20日撮影・・・今はもう種子が出来はじめています
・・・そこは伊居太神社。
というわけで、今日は記事<唐船が淵>でお約束した伊居太神社の紹介です。
今までに何度か書いていますが「伊居太」は「いけだ」と読みますが、古くは「いこた」とも読んだそうです。
左は社務所前から見た境内全景。
この右手と背後が五月山公園になります。
<唐船が淵>で書いたように呉の国から来た穴織媛(あやはとりのひめ: 綾織媛とも書く)を祀る神社で、池田では駅前の呉織媛(くれはとりのひめ)を祀る呉服神社を「下の宮」と呼ぶのに対して「上の宮」とも呼ばれています。
仁徳天皇により「秦の上社」として建立されたと伝えられていて、927年に編纂された延喜式の神名帳にも載っている古い歴史を持つ神社、だそうです。
この辺りは「クレハトリ・アヤハトリ伝承」から渡来の豪族・秦氏、秦氏の末裔ともいわれる楠木氏を経て当地の豪族・池田氏へと繋がると伝えられる歴史の系譜(全て本当かどうかは不明)が隠されているかもで、そんな歴史が好きな人には魅力の神社かもしれません。

境内の中央には舞殿。
その奥に、春日大社のように拝殿は持たず、菱格子が美しい透塀(すきべい)の中に本殿を置く社殿配置となっていますが、この本殿が建築的にとても珍しいもの。

上右は菱格子の間から一昨日撮らせてもらった本殿ですが、今の時期はこんな風に新緑が邪魔してよくわからないので一昨年の春先に撮った写真でご紹介。

2006年3月15日撮影
穴織媛に加えて、彼女らを呉に求めた応神天皇、建立の祖・仁徳天皇も祀られているので三社造り(それぞれに神様を祀る本陣を横に三つ連ねた造りで、神社本殿よりも神棚に多いプラン)となっていますが、珍しいのはその屋根。
軒から入る平入りで、向拝(こうはい:庇)を伸ばした中央に唐破風を設け、さらにその奥に千鳥破風を配した「流れ千鳥唐破風寄造り」という造りなんですが、普通、千鳥破風は中央に一つ。
それがこの伊居太神社の場合両脇にも付くなんとも豪奢というか、たぶん建立当時としてはかなりド派手なデザインだったんだろうなぁ、と思えるファサードをしています。加えて見上げを意識したプロポーションも美しい。
こんな造りの社殿は専門書にも類例が載っていませんし、おそらく日本中でこの伊居太神社だけのオリジナルデザインかも、という貴重な建築です。
このオリジナリティ豊かな本殿他は、以前の社殿が1568年の織田信長上洛から摂津入国へと続く戦の中で焼失した後、1604年に再建されたもの・・・豊臣秀頼によって、というか、大坂攻めにあたり豊臣方の戦力を殺ぐため散財させたという例の徳川家康の計略により再建された社寺の一つです。
そんな歴史と建築上の珍しさを持つ神社にもかかわらず、国はもとより、府や市の文化財指定も受けていないよう。
文化財指定がどのような基準や手続きによって決まるのか知らないので「なんでなんかなぁ」と思うのですが・・・屋根の銅板葺きは大正時代以降のものと見受けられるので、その辺りがネックなのかなぁ、とも。
権現造りに見られるように安土桃山時代の社殿は概して豪奢ですから、三連千鳥破風はさもありなん、なのですが、もしかしたら両脇のそれはその近年の葺き替えの折に付け加えられたもので、歴史的価値はそんなにないのかもしれない、と想像してみたり・・・本気で調べてもいないので、よくわかりませんが。
なにせ宮司さんにも滅多に会う事もなく、いつ行ってもほとんど人の気配さえない神社・・・下写真のようにいたる所が傷んできたりもしています。

左は本殿正面の向唐門の軒: 天井が朽ちてきていますが、4枚目の写真にあるようにこの門の屋根にはずっとシートが被せられたまま修復もされず 右は本殿右手の土塀: こちらも昔からこのまんま
合わせて境内に点在する蔵や付属屋などにもかなり傷みが目立ちます。
「下の宮」呉服神社のように十日戎で賑わうわけでもなく、また日頃御守や御札を売っているわけでもなく、正月の祭礼以外にお祭りもない神社のようですから維持管理はかなり大変そうな様子です。
伊居太神社は現在、神社本庁の神社データベースにも掲載されていませんし、私は地元の人間ではないので諸事情などはよくわかりませんが、このままで大丈夫なのかなぁ、と老婆心を抱いたり・・・。
とういわけで(ここが重要)池田にお越しの折は、駅前から商店街を北に歩いてたったの15分、緑豊かな中に遥かなる歴史を秘めたこの伊居太神社にもぜひお参りを。(^^)v

道から50段ほどの階段を登ってあるこの鳥居が目印 「穴織大明神」の額束が掛かっています
撮影は全てGR DIGITAL 特記以外2008年4月29日撮影 適宜レタッチ・トリミング
最後に、いままでに伊居太神社境内や参道で撮った写真を載せた主な記事へのリンクを張っておきますので、お越しの際のご参考になどして下さい。
ブログ勝手口内
07年12月03日<音楽会> 07年10月06日<通勤道 02> 07年05月23日<青葉> 06年09月04日<一本の樹>
ブログ写真徒然内
08年04月29日<参道> 06年03月15日<伊居太神社> 05年12月03日<秋の終わりに 2>
写真はイロハモミジの花。そのフォーカスを背景に合わせてみると・・・

写真徒然関連写真: 楓花 2008年4月20日撮影・・・今はもう種子が出来はじめています
・・・そこは伊居太神社。というわけで、今日は記事<唐船が淵>でお約束した伊居太神社の紹介です。
今までに何度か書いていますが「伊居太」は「いけだ」と読みますが、古くは「いこた」とも読んだそうです。
左は社務所前から見た境内全景。
この右手と背後が五月山公園になります。
<唐船が淵>で書いたように呉の国から来た穴織媛(あやはとりのひめ: 綾織媛とも書く)を祀る神社で、池田では駅前の呉織媛(くれはとりのひめ)を祀る呉服神社を「下の宮」と呼ぶのに対して「上の宮」とも呼ばれています。
仁徳天皇により「秦の上社」として建立されたと伝えられていて、927年に編纂された延喜式の神名帳にも載っている古い歴史を持つ神社、だそうです。
この辺りは「クレハトリ・アヤハトリ伝承」から渡来の豪族・秦氏、秦氏の末裔ともいわれる楠木氏を経て当地の豪族・池田氏へと繋がると伝えられる歴史の系譜(全て本当かどうかは不明)が隠されているかもで、そんな歴史が好きな人には魅力の神社かもしれません。

境内の中央には舞殿。
その奥に、春日大社のように拝殿は持たず、菱格子が美しい透塀(すきべい)の中に本殿を置く社殿配置となっていますが、この本殿が建築的にとても珍しいもの。

上右は菱格子の間から一昨日撮らせてもらった本殿ですが、今の時期はこんな風に新緑が邪魔してよくわからないので一昨年の春先に撮った写真でご紹介。

2006年3月15日撮影
穴織媛に加えて、彼女らを呉に求めた応神天皇、建立の祖・仁徳天皇も祀られているので三社造り(それぞれに神様を祀る本陣を横に三つ連ねた造りで、神社本殿よりも神棚に多いプラン)となっていますが、珍しいのはその屋根。
軒から入る平入りで、向拝(こうはい:庇)を伸ばした中央に唐破風を設け、さらにその奥に千鳥破風を配した「流れ千鳥唐破風寄造り」という造りなんですが、普通、千鳥破風は中央に一つ。
それがこの伊居太神社の場合両脇にも付くなんとも豪奢というか、たぶん建立当時としてはかなりド派手なデザインだったんだろうなぁ、と思えるファサードをしています。加えて見上げを意識したプロポーションも美しい。
こんな造りの社殿は専門書にも類例が載っていませんし、おそらく日本中でこの伊居太神社だけのオリジナルデザインかも、という貴重な建築です。
このオリジナリティ豊かな本殿他は、以前の社殿が1568年の織田信長上洛から摂津入国へと続く戦の中で焼失した後、1604年に再建されたもの・・・豊臣秀頼によって、というか、大坂攻めにあたり豊臣方の戦力を殺ぐため散財させたという例の徳川家康の計略により再建された社寺の一つです。
そんな歴史と建築上の珍しさを持つ神社にもかかわらず、国はもとより、府や市の文化財指定も受けていないよう。
文化財指定がどのような基準や手続きによって決まるのか知らないので「なんでなんかなぁ」と思うのですが・・・屋根の銅板葺きは大正時代以降のものと見受けられるので、その辺りがネックなのかなぁ、とも。
権現造りに見られるように安土桃山時代の社殿は概して豪奢ですから、三連千鳥破風はさもありなん、なのですが、もしかしたら両脇のそれはその近年の葺き替えの折に付け加えられたもので、歴史的価値はそんなにないのかもしれない、と想像してみたり・・・本気で調べてもいないので、よくわかりませんが。
なにせ宮司さんにも滅多に会う事もなく、いつ行ってもほとんど人の気配さえない神社・・・下写真のようにいたる所が傷んできたりもしています。

左は本殿正面の向唐門の軒: 天井が朽ちてきていますが、4枚目の写真にあるようにこの門の屋根にはずっとシートが被せられたまま修復もされず 右は本殿右手の土塀: こちらも昔からこのまんま
合わせて境内に点在する蔵や付属屋などにもかなり傷みが目立ちます。
「下の宮」呉服神社のように十日戎で賑わうわけでもなく、また日頃御守や御札を売っているわけでもなく、正月の祭礼以外にお祭りもない神社のようですから維持管理はかなり大変そうな様子です。
伊居太神社は現在、神社本庁の神社データベースにも掲載されていませんし、私は地元の人間ではないので諸事情などはよくわかりませんが、このままで大丈夫なのかなぁ、と老婆心を抱いたり・・・。
とういわけで(ここが重要)池田にお越しの折は、駅前から商店街を北に歩いてたったの15分、緑豊かな中に遥かなる歴史を秘めたこの伊居太神社にもぜひお参りを。(^^)v

道から50段ほどの階段を登ってあるこの鳥居が目印 「穴織大明神」の額束が掛かっています
撮影は全てGR DIGITAL 特記以外2008年4月29日撮影 適宜レタッチ・トリミング
最後に、いままでに伊居太神社境内や参道で撮った写真を載せた主な記事へのリンクを張っておきますので、お越しの際のご参考になどして下さい。
ブログ勝手口内
07年12月03日<音楽会> 07年10月06日<通勤道 02> 07年05月23日<青葉> 06年09月04日<一本の樹>
ブログ写真徒然内
08年04月29日<参道> 06年03月15日<伊居太神社> 05年12月03日<秋の終わりに 2>
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2008年04月30日
難波薔薇
0694
つれて逃げてよ〜 ついておいでよ〜 夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し♪ 作詞:石本美由起 作曲:船村徹
テーマソングにのって今年もやってきました「わぎりのわたし」(^^)・・・5mmピッチで刻まれたCT画像でございます。
ブログで紹介するのは昨年・一昨年に続いて3回目。
CTを撮ったのは2週間ほど前でしたが今朝が結果発表。で、今年も基本的には異常なし。
ただ、問題は年々成長する皮下脂肪厚。(^^;
現在の最大厚:約40mm・・・みごとメタボでございます。(^^)
・・・ああっ、ダイエット・ダイエット。
と、皆さんのお目を汚してしまったお詫びに、ここは一つ爽やかな花で浄化していただこうと、今日は事務所の近所に咲くナニワイバラをご紹介。(^^)

大きな白い花と黄色いおしべが特徴的で、この時期ちょくちょく咲いているのを見かけますが、このお宅では今が満開の観。
バラの原種の一つだそうで、日本には江戸時代に中国から持ち込まれたとか。
その際、難波の商人によってもたらされたのでこの名がついたと言われているそうです。
ちなみにナニワイバラを漢字で書くと「難波茨」ではなく、イが抜けて「難波薔薇」と書くのが普通なようなんですが・・・ちょっとヘンな感じ。「茨」はバラじゃないのかな?

池田市城南にて わぎりのわたしも含めて、全てGR DIGITAL 適宜レタッチ・トリミング
つれて逃げてよ〜 ついておいでよ〜 夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し♪ 作詞:石本美由起 作曲:船村徹
テーマソングにのって今年もやってきました「わぎりのわたし」(^^)・・・5mmピッチで刻まれたCT画像でございます。ブログで紹介するのは昨年・一昨年に続いて3回目。
CTを撮ったのは2週間ほど前でしたが今朝が結果発表。で、今年も基本的には異常なし。
ただ、問題は年々成長する皮下脂肪厚。(^^;
現在の最大厚:約40mm・・・みごとメタボでございます。(^^)
・・・ああっ、ダイエット・ダイエット。
と、皆さんのお目を汚してしまったお詫びに、ここは一つ爽やかな花で浄化していただこうと、今日は事務所の近所に咲くナニワイバラをご紹介。(^^)

大きな白い花と黄色いおしべが特徴的で、この時期ちょくちょく咲いているのを見かけますが、このお宅では今が満開の観。バラの原種の一つだそうで、日本には江戸時代に中国から持ち込まれたとか。
その際、難波の商人によってもたらされたのでこの名がついたと言われているそうです。
ちなみにナニワイバラを漢字で書くと「難波茨」ではなく、イが抜けて「難波薔薇」と書くのが普通なようなんですが・・・ちょっとヘンな感じ。「茨」はバラじゃないのかな?

池田市城南にて わぎりのわたしも含めて、全てGR DIGITAL 適宜レタッチ・トリミング
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